TAKAMINE エレアコ 100シリーズ & SEWWT HOME CHICAGO

YAMAHAのギターがモデルチェンジされ、個人的に先々ちょっと心配ということで、かねてより気になっていたTAKAMINEのスケールの短いモデル、100シリーズを楽器屋で試してみた。

このシリーズは弦長630mmなのだ。


さて、試してみると、、、、



これは個体差であったのかもしれないが、弦高がハイポジションで少し高めであった。
もしかすると、ネックのそり具合の調整で低くできるのかもしれないが、ちょっと気になる要素だ。
ただし、これは気にならない人もいるのかもしれないレベルではあるかもしれない。
自分には少し高いのだ。
そして、ネックは若干太めに感じる。
この辺は、せっかくスケールも短くして、弾きやすくするという発想の基に作ったのだろうから、もう少し弾きやすくなっていると、自分にはうれしいのだが。。。


(因みに、自分はTAKAMINEのピックアップ無しのアコースティック・ギターは所有しているが、そのモデルは自分で行ったネックのそり具合の調整だけで弦高も低くできて、かなり弾きやすくはなっている。ただしネックは太いが)


肝心の音色だが、PTU121Cという一番安いモデルで言うと(かなり安く手に入るお店で代替7万円ほどと思える)、内蔵されているプリアンプのトーン・コントロール・ノブは3つのせいか、自分の好みの音色に近づけるのに少し苦労する感有りだった。

試していないが、この100シリーズでは売値で15万円は超える辺りのモデルから、プリアンプがグレード・アップするようだ。

この辺は前回書いたYAMAHAのモデルと比べると、ずいぶん値段的には高いように思う。
(ただし、TAKAMINEの高いモデルに搭載されているプリアンプは、任意の後付けピックアップも繋げることができてブレンドが可能なようなので、かなりグレードは高いかもしれない。その辺はいつかまた試してみたいと思う)



TAKAMINEは音色は高音が良く響く印象で、このPTU121Cもそのように感じる。
よって、バンドの中で弾くには、全く気にならずに、逆に心地良く弾けるギターのようには感じる。

TAKAMINE自慢のピックアップの固定方法からしても、サウンド・ホールをふさげば、おそらくフィードバックにもかなり強いのではないだろうか。


ただし、、、、

第一印象としては、自分の率直な意見では、YAMAHAのモデルの方が、その場その場で自分に丁度良い音を作りやすいような気がする。
(足元に別にプリアンプを置いて繋ぐことを前提とすれば、また話は別だが)


今回、楽器屋で試し弾きでは、良いなと思えば買ったかもしれないのだが、よけいに今持っているYAMAHAのギターが壊れたらどうしようか、とう不安材料が増えた感有りだった。





URLは本文とは関係ないが、ブルース・バーで演奏したロック風なナンバーのご紹介。


https://www.youtube.com/watch?v=xS8HQmvbvEw&list=PLWs3uUq8i069t5yDaBvvSIccdmaWVoDxh




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YAMAHA APX500 レビュー & 「にじ」を歌う 

YAMAHAのエレアコ、APXを愛用しているが、このギターが壊れてきたらどうしようかと思う。
今から心配だ。
このギターは値段は安いが、音のバランスが良く、扱いやすく、そして弾きやすいのだ。

実は、自分の使ってるモデルは、購入以降、2回モデルチェンジされている。

ところが何故か(おそらくコストダウンが目的だろうが)、APXシリーズの中でモデル500だけは弦長が確か635mmほどだったはずなのだが、いつの間にかそれが無くなり、モデル全体が650mmのみになったようなのだ。



現在のモデルも楽器屋で試すと、相変わらず音色は扱いやすい。

自分のモデル同様、音の大きなバンド内で弾くなら、高音を高めに低音削りで、ソロでの弾き語りなどでは、低音を足したり、高音部を少し抑えたり、好みのサウンドに持って行きやすギターだと思う。

その辺は変わらない上、(お店でに1回だけの試しなのではっきり断言できない部分も有るが)音色も良くなってるような印象だった。これは、もしかすると弦長が長くなった事に起因するのかもしれない。

しかし、新モデルでも十分弾きやすいのではあるが、こだわり的にはより弾きやすいはずの635mmスケールを(も)復活させてほしいのだ。
ネックの太さも若干太くなったのではないかと思う。

できれば、メーカーさんが弦長635mmのギターを復活させてくれることを切に願う。





APXで生音、生歌で童謡「にじ」を撮ったLINKを再び紹介。
生音が良いというわけではないが、ストローク・スタイルには歌いやすい音で、その辺も気に入っている。


https://www.youtube.com/watch?v=UYoRfUXOfDk&list=PL156D7E94C2EF6E24&index=3






閂差し 鶺鴒差し 落とし差し 帯刀

これは私の、おそらくこうなんじゃないかという感想に近いが(要するに学術的根拠は無い話だ)、
閂(かんぬき)差しという、地面にほぼ平行に刀を差す方法は、居合道の確立、しかも昭和以降で定着した指し方ではないだろうかと思っているので、唐突だが以下ちょっと書いてみる。


正座居合では、刀は閂差しにしなければ、鐺(こじり)が床に当たってしまい、下作になってしまうのだ。
それで、閂差しという帯刀方が、武道などで刀を扱う人達の間で、ほぼ主流的な帯刀方になっているのではなかろうか。

しかし、時代劇などでは、大抵、侍は鶺鴒(せきれい)差しなのだ。
そして、浪人侍は落とし差しだ。


むろん、閂差しは、侍の存在した頃から有ったのだとは思うが、
どちらかと言えば、やはり主流派の帯刀方ではなかった、と私は思う。

閂差しは、幕末には少し広まったというような記述をどこかで見た気がする。

この閂差しは要するに、直ぐに抜刀できる、しかも抜刀したら直ぐに斬れるぞ、という指し方ではなかろうか。
つまり、尊王の志士や血気盛んな連中、ちょっと粋がった連中の指し方のように思える。


何故なら、閂差しは、周囲にもちょっと邪魔臭い感の有る指し方だと思えるからだ。
実際、刀は帯刀して歩いてみると、思いの他邪魔で何かと鞘が人や物に当たってしまうのだ。

鞘に当たっただけで、「無礼者!」と斬り合いになったかどうかは知らないが(おそらくそんなことは滅多に無かったのではと思うが)、思慮ある侍達はなるべく無用な争い事は起きぬように注意を払って、混み入る場所では、刀もなるべく落とし差しに近く指してみたり臨機黄変にしていたのではないかと私は考えている。

また、浪人は落とし差しと言われるが、偉そうにできない立場の者はできるだけ帯刀に関しても、周囲に気を払う指し方になるのではないかと思うのだ。

それと同時に、着流しで袴を履かない侍は(同心などもそうではなかったかと思う)、自然と落とし差しのような指し方になってしまうし、そうかと言え、この落とし差しは、鞘が他人や物に当たる事を避けるには便利な半面、刀がどんどんずれてしまい、それはそれでとても不便な指し方に思える。


それで、それら諸々を考えると、中間的な指し方の鶺鴒差しがもっとも扱い易い帯刀方だったのではないだろうか。
しかも、その中で、自分の地位や立場、また人間の出来具合で、場所場所の状況に応じて、刀の差し方なども落とし差しにしたりして無用なトラブルが生じることを避けたり、逆に落とし差しにした方が俊敏に動ける利点を生かして、状況に応じて刀を縦めに指したりしていたのではなかろうか、と私は思う。

因みにだが、羽織を着た時に、意外にも(意外でもないが)着た感じが良いのは、落とし差しに近い指し方だと思う。
閂差しでは陣羽織でもなければ、羽織の後ろが綺麗にならない。

城勤めくらいであれば、鶺鴒差しくらいで、あとは状況に応じて若干の角度の違いを付けるくらいがやはり自然に思える。

ただし、人前でやたらに刀の鍔付近に手をかけるのは危険だろうし(抜刀しようとしている、つまり敵対心有りと勘違いされる恐れが有る)、触る時は人から離れた時など、注意していたと思う。



ちょっと、居合などをしていて感じていたことを書いてみた。




写真は例によって本文とは全く関係なし。
先日行った、阿佐ヶ谷チェッカーボードのジャムセッション&お店のママさんの誕生日祝いでの記念撮影。




160608つっちー誕生日1

高田馬場 街の移り変わりの速さ 童謡「にじ」

高田馬場のBIG BOXってビルには確かビリヤード場が有ったはずなんだが、行ってみるとビルは分かったものの、建物内のどこだか分からなかった。

前に来たのは確か3年前くらいのような気はするが、階もはっきり覚えてないままに来たのだった。

しかし、どの階へ行っても見当たらない。


まさかと思って、BIG BOX内に働く店員に聞いてみたのだが、驚いたことに、誰もそんなものが在ったのだか、今在るのだかさっぱり分からない様子だ。


結局、おそらく閉店したのだろうと思って、山水という高田馬場の老舗のビリヤード場を探してみたが、これもうる覚えで、ちょっと探す羽目になった。
何とか探して入ってみると、やはり山水も2店舗在った店が、一店舗を閉店させてもう4~5年だそうだ。
自分が昔行ったのは無くなった方の店舗だったので、これも探す羽目になったのだ。


ところで、ついでにさっきのBIG BOXに在ったはずの店を知らないか聞いてみたところ、あれも3年前くらいで無くなったと教えてくれた。


各老舗店の閉店も驚きだが、BIG BOXには3年前くらいの事を知らない店員ばかりなのが一番驚きだ。
話しかけた店員さんには、それなりに中堅クラス的な年齢の人もいたはずだが、多分務めてからの年月はこまでそ古く無いのだろう。

今はちょっと前のことすら知らなくなってしまうような、入れ替えの激しい時代なのだろうかね。



160528池袋



ところで、最近この「にじ」という童謡が気に入っていて、動画に撮ってアップデートにしてみた。

https://www.youtube.com/watch?v=UYoRfUXOfDk&index=3&list=PL156D7E94C2EF6E24




幼馴染 K君のこと

なんか人との思い出を書いたりしたら、もう一つ書いてみたくなった。

こんな風になるのは、自分も齢を食ったからだろうか?

だいたいこういう記録自体、今後も残っていくのか、それも疑問だが。



K君はいわゆる幼馴染で幼稚園から中学校までは一緒の学校で、高校から別になった友人だった。

彼はそんなに頭の良い学校には進まなかったが、高校1~2年の間はたまに会っていたと思う。


実は彼は中学3年生頃から始めたエレキー・ギターが不思議と上手かったのだ。
私も始めたのは同時なのだが、自分は真面目に練習しても、憧れの速弾きは彼ほどは軽やかに速く弾けなかった。

しかし彼は、実際の練習はどれだけしてたのかは分からないのだが、
でもそれほどやってるそぶりも無いのに、直ぐに速く弾けるようになるし、バッキングもそれなりにちゃんと弾けるようになっていた。


一緒にバンドなんかも組んでスタジオに入ったりしていたのだが、私は彼のそんなプレーを見ている内に、
早々と自分にギターは向かないのだと思い始め、大学生になった頃はもうほとんどギターを弾くのは止めてしまっていた。
いや、高校3年生の時から既にほとんど弾いていなかったのかなと思う。


彼とはお互い大学生になった後は会わなかったが、たまに駅でばったり会ったりもしたので、
大人になってからも道すがらちょっと話したりすることも有った。



実は自分は30代後半だった時か、気が合うギターリストを探していた。
大学時代の仲間に声をかけて、一緒に練習などもしていた。

しかし、練習での演奏は良くなりはしたものの、お店などでライブ演奏をしていくことには、温度差のようなものも感じたのだ。
大学時代の友人では、一緒に活動できる者が見つからなかった。


それで、ふと思いだしたのが、かのK君だったのだ。

自分も電話を掛けたのだが、直接家を尋ねたのだか忘れたが、
早速、連絡を取って、またしばらく彼と月数回の一緒の練習を始めたのだった。

結論的に言えば、彼とも演奏を人前で行う、といったことには温度差も有り、結局数か月か1年弱かで、それはいつしか終わってしまったのだ。
まあ、彼はそれなりに高校生、また大学の1~2年くらいの間にやるだけやって、それなりに気持ちも区切りがついていたのだと思う。
しかし、自分は彼ほどは気持ちに区切りが無かったのだろうか。
結局今でも細々とした活動は続けているのだ。


さて、前置きが長くなったが、かのK、
私は全然気づいていなかった・・・
ふと、本当に、この数か月前に、何かの拍子できづいたのだ。


彼は俺をボッていたと言うには大げさだが、要するにちょっと都合良く
私をカモにしていたのだった・・・



高校生の頃、彼は急に私の家に来たりすると、たいていそういう時はギターに使うエフェクター類を持参してきたのだった。
そして、それを使って軽やかなギターを私に披露すると、
たいてい最後に、「これ買わない?」と聞いてくるのだった。

私は当時、自転車通学の高校生で、電車に乗って楽器店を回るほどは小遣いに余裕も無く、要するにそういった機材の適正価格なんかにも疎かった。
彼は既に電車通学で気楽に楽器店などに寄っては、試したい機材などもあれこれ頻繁に見ていたようだ。

それで、彼はちょっと使っては飽きてきた機材類は、次の機材を買う為の資金集めの足しに、
いつも私に声をかけてきたのだ。

決して妙に高い値段だったという事でもないが、時に結構高く買うことになり、だまされた感が強いことも有った。


私はなんだか馬鹿正直で、友人が酷いことをすることなんて思いもしていなかったのだ。
要するにそういう事には全く知恵が回らない私は、そういうことに知恵の回る彼から、言われるままに機材を買ったりしていた。
また、機材類を貸したままにされてしまったり、実質上げてしまう事になったり、ボッタくりのようなものではないにせよ、要するに都合良く扱われていたのだ。


ずっと、長いこと気づかずにいた。

何故だか、この齢になって、少し前にふと気づいたのだった。

全く気付かず、大人になった後も、自分から連絡を取って一緒に演奏しないか声をかけたり、
そんなことをしていても、全然気づかずにいたことが、パッと霧が晴れたように見えてきたのだった。



しかし、彼は大人になって、妙に常識感の有る真面目な社会人になっていた。

音楽に対する情熱などは薄れていたが、私に付き合ってしばらく練習などをしたのだった。

合間に、彼の手料理なども食べて楽しく練習した。

ただ、既に温度差は有ったので、練習していてもそれをどこかで披露するようなことまでは全く考えない彼とは、
やはり、ちょっと練習間隔に間が開いた時を契機にまた会う事は無くなってしまった。

私のライブに1~2度来てくれたように思うが、既に、演奏云々より一緒に酒を飲んだりする方が彼の関心ごとだった。


今は私も何度か引っ越しを繰り返し、住んでる場所も離れてしまったので、いよいよ会うことも無くなってしまったが、
彼は元気に、健全なサラリーマン生活を送ってるのではないかと思う。





写真は本文とは関係なく、2016年6月4日(土)、新宿ゴールデン・エッグでの様子。

また、URLはその時の演奏の様子の動画サイト。

https://www.youtube.com/watch?v=0an1Tbnwqjc&list=PLWs3uUq8i069jspM5fhVQ0CATQz9vq4Ff





抜刀 Oさんのこと

前回、居合に関して書いたら、ふと
抜刀で短い間だったが、お世話になったOさんのことを思いだした。
もう2年以上、多分2年半近くは会っていなかったと思うが、
Oさんは、とある抜刀団体の支部の代表者であったのだ。
そう、今は過去形である。

Oさんが亡くなったと人づてに聞いてから、もうどのくらいたっただろうか。
1年か、半年か。



4年ほど前だったか、いやもう少し前だったか、私は全く別の道場で型居合中心に、時折、斬りもという感じで刀を振っていたのだが、そこで知り合った方を通じて、Oさんを紹介してもらったのだった。

因みに、後になって気づいたのだが、Oさん達は私が持っていた刀の写真付きの本の中の技斬り披露のページでその姿も載っている人達だった。


Oさんの会は、実際は全く活動自体を休止していて、
おそらくその方が、
「斬りをやりたがってるが、そこそこ腕の良いのがいるから、教えてやってくれないか」
というような紹介をしてくれたらしく、
自身はほとんどやる気もないのだろうが、じゃあ暫くという感じで、最初は月2回くらい、その内1回程度、結局1年くらい開いてくれたような記憶だ。

実はそこで、前に書いたことがあるSさんとも知り合ったのだ。


そして直ぐに、Oさん、そしてSさんに勧められるままに、私はSさん経由で注文打ちの刀を作ったのだ。

しかし、出来上がってみると、重さ等々がどうも満足行くものではなかった。要するに重過ぎたのだ。

まあ、人をだましたような値段でもなく、注文打ちにしてはそこそこリーズナブルとも言え、かといって予め聞いていたほどは良いものにならなかった、そんな感じだ。

しかも、気づくと、刀が出来てからは数回稽古が有ったきり、そのままのらりくらりとかわされ(私もしつこく半年以上はどうですかどうですか、と開催をお願いする電話などしていたのだが)、結局稽古会も無くなり、
他の会員から要望が有った一時期の数回を除いては、全く開いてくれなくなってしまったのだ。
それに、やるからと言われて、片道1時間以上をかけて出かけて行っても、実際には誰も来ずにすっぽかされた事も何度有っただろうか。
5回以上は有ったはずだ。

また、Oさん自身、新たに刀を手に入れた時は、別の普通の刀剣店から購入していたし、気づくと他の会員(といっても数名だが)も皆、Sさんに頼んでの刀は持っていないのだった。

さらにOさんは、私をOさんに引き合わせてくれた人には、
私自身が、「元の会には戻りたくない」
などと言っているとデタラメを風潮したりしていたが後で分かった。

この辺は書いても伝わるか難しいように思うが、
なんと言うか、小さいながらも会同士のけん制し合い、近寄ってくる仲間の奪い合いのようなものが有ったようだ。


そんなこんな、自分はようやく、そういうからくり(とまでは言わないが)に、自分の馬鹿さ加減を思い知らされたのだった。
その時になって私は、Oさん達とは考えを異にして離れて行った人や、上手く付かず離れずで行動している人もいたのだが、
そういう人達が、どうしてOさんのそばから離れて行ったのかを、遅ればせながら気づかされたのだった。

そして、稽古会も全く開かれなくなってから1年近く過ぎ、私はいよいよOさんの所で稽古を期待することはあきらめたのだ。



そうかといえ、私はOさんの会で、たった1年ほどではあるが、それでも斬りの実力を高めさせてもらったのは間違いなかった。

また、Sさん経由の刀も、それなりに刀を振っていて筋力が負けてない頃は、私もそれでそこそこ難易度の高い斬り技も成功させていたのだ。


Oさんは斬りの稽古会を開いても、自身はほとんど斬らずに私や他の人に斬らせてくれたし、
稽古場以外での巻き藁の事前準備や、後の廃棄はほぼ一人でやってくれていたのだった。

その意味では非常に感謝している。


Oさんは、時折せいぜい1~2本斬っていたが、
「身体が覚えてるから、俺はもう稽古なんかしなくても、このくらいは簡単なんだよ」と言って、
実際、水返しくらいの技斬りは難なく成功させていた。
納刀の所作は綺麗ではなかったが、とりあえずさらっと納めていた。


今現在の自分などは、技斬り自体を試す充分な環境が無く(6段斬りのような基本技にも充分とは言えない)、
要するに技斬り自体ほとんど2年近く試すことすらもろくにできないのだが、
そんな中で早くも腕が落ち始め、水返しなども成功率は相当低くなったようだ。
実際、大会では昨年、今年と満足行くものではなかった。
その意味ではOさんと私とでは、悔しくもやはり習得度に相当の開きが有ると考えざるを得ないのだ。



その会は、Oさんが亡くなられたのと同時に消滅したようだ。
また、そこに出入りしていた他の主要な方々も、もう斬りは止めにしたと聞いている。
似た名前の支部ができたようではあるが、それはまた少し違う人達の会で、ずばり書いてしまえば、Oさん達から離れた人達が開いている会だ。



そんなこんな、私にとっては心象が良いという感じでもないOさんではあるが、ある時、私に
「経営者ってのは、結構孤独だよ」
と一言漏らしたことが有った。

全く利害関係もなく、言ったとしてもなんら問題も無い私にだからこそ、ポロっと漏らした本音だったのかもしれない。


最期の時はどんな様子だったのか知る余地も無いが、
安らかなるご冥福だけは願う。



とりとめも無く書いたが、また思い出したりすることが有れば、追記でもしようかと思う。




尚、下記写真はその会の時のものではない。写真などは全く撮った記憶も無く、何も手元に残っていないのだ。
また、写真での刀もSさん経由で作った注文打ちのものではない。


斬り
プロフィール

BIG ROCK!!

Author:BIG ROCK!!
ハーモニカを吹きます。スタンダードなアメリカン・ブルーズからオリジナルの日本語ブルースまで、軽快なハーモニカに乗せて歌っています。月に数本、ライブバーを中心に活動中。
http://bigrock0018.jimdo.com/
趣味ですが居合は有段。巻き藁斬りなどもやっています。能や茶道にも関心有るので、時に和服も着たりします。(笑)

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